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最終更新日:2017/ 6/13(火) 23:36:14

米田實〔1878―1948〕著作目録(完全版)Version 1.0.17

目次

  1. 凡例
  2. 著書
  3. 論文・記事(単行本に収録されたもの)
  4. 論文・記事(雑誌に掲載されたもの)
  5. 論文・記事(新聞に掲載されたもの)
  6. 座談会記事
  7. その他(アンケート回答など)
  8. 註記
  9. 関連リンク

凡例

本表について
  1. 本表は米田實〔1878―1948〕の全著作を、種別ごとに、刊行年月順に排列したものです。
  2. 私はすでに、同様のリストを冊子体として2008年に発表してゐます(資料「米田實年譜・著作目録」)。しかし本表には、冊子体の公刊後、新たに発見された著作を随時、追加してゐます。また一部の著作に対して、冊子体にはない「副題」を付したほか、より詳細な刊行年月や、総ページ数なども記載してゐます。
  3. 冊子体に含まれない、新たに発見された著作だけを抜き出した表は、別ページに用意しました(追補版)。すでに冊子体をお持ちの方は、そちらもご利用下さい。
本表に収録した著作について
  1. 本表に収録した著作には、本名以外の雅号(米田切水、切水槎客など)で発表されたものも含まれます。
  2. 米田は『東京朝日新聞』の論説委員として、多数の社説を無署名で起草したと推測されますが、同定が困難なため、すべて省略しました。
  3. 著作は「著書」「論文・記事(単行本に収録されたもの)」「論文・記事(雑誌に掲載されたもの)」「論文・記事(新聞に掲載されたもの)」「座談会記事」「その他(アンケート回答など)」に分類しました。
  4. 講演の速記録のうち、小冊子として刊行されたものは「著書」に含め、雑誌や新聞に掲載されたものは「論文・記事」に分類しました。
  5. 冊子体に収録した著作のうち、「海浜住居(短歌)」『週刊朝日』4巻25号と「ソ聯の近東政策につきて」『歴史』〔歴文研〕15巻3号の2点は削除しました(その後の調査で、前者は別人の著作、後者は『国際知識及評論』20巻5号からの転載と判明したため)。
過去の履歴と今後の修正
  1. 今後、修正や追記をするときは、備考欄に◆マークと変更内容、変更日を記載します(例:◆新規追加:09/3/15)。変更箇所を確認するときは◆マークを探して下さい。
  2. また1箇所修正するごとに、本表のバージョンの最終桁の数字を1つづつ増やし(例:1.0.9→1.0.10)、合せて「更新情報―研究関係」にて告知します。
その他
  1. 特記事項のある場合は、備考欄に註番号を打ちました。註記は本ページ末尾の註記欄にまとめてあります。
  2. 本表について何かお気づきの点がありましたらご一報ください

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著書

標題(出版者、発行年月)頁数備考
『拾貳文豪 號外 バイロン』(民友社、1900年10月)193
『最近世界の外交』(外交時報社出版部、1920年6月)590
『世界の現勢』(日本青年館、1922年11月)25大正11年度全国青年団指導者講習会の速記録
『世界の大勢』(教化団体聯合会、1925年11月)59
『現代外交講話』(白揚社、1926年6月)540
『東亜の事情』(教化団体聯合会、1926年10月)80
『世界の大勢』(朝日新聞社、1928年11月)312
『満洲問題』(帝国教育会出版部、1929年5月)70
『太平洋問題』(朝日新聞社、1929年10月)317
『国際関係小観』(明大学会、1933年3月)80表紙に「政経論叢附録」とある
『最近欧羅巴の事情―米田実氏述』(東京商工会議所、1935年5月)22『商工資料』第25号。1935年4月16日東京商工会議所定例午餐会における講演の要旨
『伊エ紛争と国際関係』(京都府国防協会、1935年11月)44『講演集』第7号
『国際情勢の今日と明日』(新更会刊行部、1936年1月)32
『ヨーロッパの動き』(霞山会館、1936年6月)32
『露西亜を中心とする外交問題』(日本講演協会、1936年8月)14
『最近の国際情勢に就て』(東京商工会議所、1937年2月)29
『欧洲現下の政局』(新日本同盟、1937年5月)44新日本同盟会報。昭和12年3月12日、丸の内・中央亭本店における新日本同盟在京会員例会における講演
『国際日本の立場』(日本文化中央聯盟、1939年2月24日)42『時局と国民自覚大講演集』第17号。シリーズ名:国民自覚運動パンフレツト
『第二次世界大戦に就いて』(新日本同盟、1939年11月)29
『米田先生述 国際公法―昭和十五年度講義』(中村謄写所、1941年2月)107謄写版の講義ノート

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論文・記事(単行本に収録されたもの)

標題所収頁数備考
米国の外交東京商科大学一橋会『復興叢書』第三輯(岩波書店、1924年2月)67
日露米の関係大阪朝日新聞社出版部『時局問題批判』(朝日新聞社、1924年3月)221924年2月22日大阪中央公会堂での講演
太平洋形勢の推移大阪朝日新聞社出版部『時局問題批判』(朝日新聞社、1924年3月)201924年2月23日京都市公会堂での講演
日米問題大阪朝日新聞社出版部『時局問題批判』(朝日新聞社、1924年3月)241924年2月25日神戸青年会館での講演
日米外交及米国に於ける日本国民対米会『対米国策論集』(読売新聞社、1924年12月)44
日露の新関係 朝日新聞社『成人教育』(朝日新聞社、1925年6月)331925年4月2―23日に九州各地で催された講演会の速記
刻下の日米問題 朝日新聞社『成人教育』(朝日新聞社、1925年6月)221925年4月2―23日に九州各地で催された講演会の速記
米国の政治と日本の政治 帰政一社『各国政治比較講演集』第1輯(帰政一社、1925年9月)32
世界の大勢と国際問題『九州夏季大学講習録』第1輯(夏期大学講習録刊行会、1926年8月)11
現代の世界 『アルス文化大講座』[帝国図書館による改綴第3巻](アルス、1927年[?])71同講座は当初の12巻を帝国図書館が5冊に再製本した。右巻数は帝国図書館(現・国立国会図書館)のもの
日支の外交について東亜事情研究会『現代支那事情の研究』(大阪屋号書店、1928年9月)25
総説―富国『アメリカ』の大観 佐藤義亮編『世界現状大観』第10巻(新潮社、1930年11月)23
外交―膨脹主義と弗の外交 佐藤義亮編『世界現状大観』第10巻(新潮社、1930年11月)45
政治の現状飯本信之他編『世界地理風俗大系』第6巻(中央アジヤ)(新光社、1931年4月)22◆新規追加:09/8/27
外交と新聞及新聞人橘篤郎編『綜合ヂャーナリズム講座』第10巻(内外社、1931年7月)18
国際篇朝日新聞社『朝日公民読本』(朝日新聞社、1931年8月)73
ノースクリフとスチード蘇峰先生古稀祝賀記念刊行会『知友新稿』(民友社、1931年11月)8
大戦後の欧亜と南米白鳥庫吉他監修『世界文化史大系』第23巻(新光社、1933年11月)1221937年3月に誠文堂新光社より再版(両者の異同は未確認)
現下の国際関係文部省普通学務局他『公民教育資料集成』(帝国公民教育協会、1934年1月)501933年8月実施の講演会の記録
大戦以前に於けるイギリスのペルシア湾外交神川彦松編『外交史論文集―立教授還暦祝賀―』(有斐閣、1934年4月)73
政治・外交の動向東京商工会議所調査課『支那経済年報』昭和12年版(改造社、1936年12月)14
支那事変と国際関係 永井柳太郎・米田実『アジア再建の義戦・支那事変と国際関係』(東京府国民精神総動員実行部、1937年10月[?])12
支那事変と国際関係上田貞次郎編『戦時経済講話』(科学主義工業社、1938年3月)18
英国自治領の政治的外交的動向内池博士記念論文集刊行会『内池廉吉博士還暦祝賀記念商学論集』(同文館、1938年4月)27
総論―東亜の現勢石田幹之助監修『東洋文化史大系』第7巻(誠文堂新光社、1939年5月)16
世界大戦と支那石田幹之助監修『東洋文化史大系』第7巻(誠文堂新光社、1939年5月)9
現下の国際情勢に就て滋賀県『夏期講習録』昭和14年度(滋賀県、1940年1月)27
九国条約問題一又正雄・大平善梧編『時局関係国際法外交論文集』(巖松堂、1940年6月)40
現代ヨーロッパの国際関係白鳥庫吉他監修『世界文化史大系』第24巻(誠文堂新光社、1940年8月)30
仏領印度支那と日本明治大学創立六十周年記念論文集出版部『創立六十周年記念論文集』(明治大学、1940年11月)24
イギリス外交基調の検討上田貞次郎博士記念論文集編纂委員会『経済の歴史と理論』(科学主義工業社、1943年1月)351941年8月14日稿
大東亜戦と支那西南辺彊問題―チベットとイギリスの関係支那研究協会『現代支那の諸問題』(黄河書院、1943年7月)41
独逸世界政策の発展日独文化協会『綜合独逸講座』第1輯(日独文化協会、1944年4月)151943年8―9月における同協会の講座の速記

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論文・記事(雑誌に掲載されたもの)

標題所収備考
在米日本人の一大問題『太陽』14巻2号(1908年2月)
米国政界小観―タフトとブライアン『太陽』14巻6号(1908年5月)
学童隔離と米国憲法の保障『国際法雑誌』8巻1号(1909年9月)
条約改正と土地所有権『国際法雑誌』8巻6号(1910年2月)
日本人帰化権を論して条約締結に及ふ『国際法雑誌』8巻8号(1910年4月)
膃肭獣保護条約問題『国際法雑誌』9巻1号(1910年9月)
独逸最近の外交を論ず『中央公論』25巻11号(1910年11月)
婦人参政権論『中央公論』26巻2号(1911年2月)
日米条約附帯全権往復文書を論す『国際法雑誌』9巻8号(1911年4月)
日米条約附帯全権往復文書を論す(続)『国際法雑誌』9巻9号(1911年5月)
米露条約問題『国際法雑誌』10巻6号(1912年2月)
米国と巴奈馬共和国との関係『国際法雑誌』10巻10号(1912年6月)
最近のバルカン問題『国際法外交雑誌』11巻1号(1912年10月)
巴爾幹問題を論ず『中央公論』27巻11号(1912年11月)
米国の中米政策『外交時報』17巻196号(1913年1月1日)
運河地帯に於ける米国の地位『国際法外交雑誌』11巻5号(1913年2月)
過去に於ける英国の西蔵政策『外交時報』17巻201号(1913年3月15日)
英支阿片問題『国際法外交雑誌』11巻9号(1913年5月)
日米国交の危機―排日問題の根本的解決如何『中央公論』28巻6号(1913年5月)
米国の排日運動撲滅策『外交時報』17巻204号(1913年5月1日)
対米外交の失敗『日本及日本人』606号(1913年5月15日)
排日土地法の実際的影響―新法は如何に日本人を苦しむるや『新日本』3巻6号(1913年6月)
レフェレンダム論『外交時報』17巻207号(1913年6月15日)
刻下の西蔵問題『外交時報』18巻208号(1913年7月1日)
波斯湾武器密輸問題『国際法外交雑誌』12巻1号(1913年9月)
土耳其の将来『太陽』19巻12号(1913年9月)
支那亡命客問題『外交時報』18巻212号(1913年9月1日)
欧洲最近の外交『太陽』19巻14号(1913年11月)
墨西哥の動乱『外交時報』18巻216号(1913年11月1日)
墨西哥と日本『中央公論』28巻14号(1913年12月)
墨西哥問題紛糾の真相『太陽』19巻16号(1913年12月)
拉丁亜米利加(特輯:一九一三年史)『外交時報』18巻219号(1913年12月15日)
日米仲裁条約の効力『国際法外交雑誌』12巻6号(1914年2月)
西班牙最近の政治『外交時報』19巻223号(1914年2月15日)
西班牙最近の政治(承前)『外交時報』19巻224号(1914年3月1日)
重大なる仏蘭西の政局『太陽』20巻4号(1914年4月)
ウイルソンの対墨政策『日本及日本人』630号(1914年5月15日)
米国の新法官罷免制と外人保護『国際法外交雑誌』12巻10号(1914年6月)
成立せざりし英仏同盟『太陽』20巻7号(1914年6月)
加奈陀の移民問題『外交時報』20巻232号(1914年7月1日)
最近の墨西哥形勢『太陽』20巻10号(1914年8月)
独墺の違算『中央公論』29巻10号(1914年9月)
巴奈馬運河開通に際して―米巴関係の将来と米哥条約『外交時報』20巻236号(1914年9月1日)
米国の東洋政策『太陽』20巻12号(1914年10月)
米国の中立態度『国際法外交雑誌』13巻2号(1914年10月)
世界に於ける米国の地位『大日本』1巻1号(1914年10月)
今回の米国総選挙『外交』1巻1号(1914年12月15日)
米国大統領ウイルソンに与ふ(特輯:東隣西隣の元首に与ふる書)『中央公論』30巻1号(1915年1月)
戦乱と中立各国の態度『太陽』21巻1号(1915年1月)
重大なる米国憲法修正『外交時報』21巻244号(1915年1月1日)
英独米の関係『外交』1巻2号(1915年1月15日)
刻下の排日問題(特輯:日米危局 太平洋岸の波瀾)『大日本』2巻2号(1915年2月)
米国の移民政策『太陽』21巻4号(1915年4月)
独逸市民法と仏英米『外交時報』21巻250号(1915年4月1日)
戦後米国の活動如何『日本及日本人』652号(1915年4月1日)
希臘の去就如何『外交』1巻7号(1915年4月1日)
露国革命と親独系の勢力『国際法外交雑誌』15巻8号(1917年4月)
聯合国内の外交問題『外交時報』25巻299号(1917年4月15日)
全米主義(特輯:世界争奪の主体系)『大日本』4巻5号(1917年5月)
日英同盟の形勢『太陽』23巻7号(1917年6月15日)
伊太利のアルバニア政策『太陽』23巻8号(1917年7月1日)
米国参戦の意義―中南米に関する一面を論す『日本及日本人』709号(1917年7月15日)
西班牙の危機『太陽』23巻9号(1917年8月1日)
米国の参戦と軍備拡張『外交時報』26巻308号(1917年9月1日)
スコット博士と鄭家屯問題『外交時報』26巻311号(1917年10月15日)
芬蘭及ひ小露問題(上)『国際法外交雑誌』16巻2号(1917年11月)
在米日本人の一大問題『外交時報』26巻312号(1917年11月1日)
露西亜の政局『太陽』23巻13号(1917年11月1日)
芬蘭及ひ小露問題(下)『国際法外交雑誌』16巻3号(1917年12月)
日米共同宣言『大日本』4巻12号(1917年12月)
日米共同宣言を論ず『外交時報』26巻314号(1917年12月1日)
墺洪国の政局『外交時報』26巻315号(1917年12月15日)
講和の一大問題『太陽』24巻1号(1918年1月)
情の西班牙民族『中外』2巻1号(1918年1月)
独逸の対露講和条件『外交時報』27巻316号(1918年1月1日)
濠洲聯邦の政局(上)『外交時報』27巻319号(1918年2月15日)
波斯帝国の将来(上)『国際法外交雑誌』16巻6号(1918年3月)
濠洲聯邦の政局(下)『外交時報』27巻320号(1918年3月1日)
土耳古の運命『太陽』24巻3号(1918年3月1日)
波斯帝国の将来(下)『国際法外交雑誌』16巻7号(1918年4月)
独露講和を論ず『太陽』24巻4号(1918年4月)
米国徴兵制と大審院の判決『外交時報』27巻322号(1918年4月1日)
羅馬尼の領土変更を論ず『外交時報』27巻324号(1918年5月1日)
南阿聯邦を観て『中央公論』33巻6号(1918年6月)
西部の講和問題『太陽』24巻7号(1918年6月)
亜細亜土耳其、波斯及阿富汗斯坦『太陽』24巻8号(1918年6月)
加奈太の異民族問題『国際法外交雑誌』16巻10号(1918年7月)
英米仲裁条約に就て―一部論者の誤解を正す『外交時報』28巻328号(1918年7月1日)
波蘭土独立問題『太陽』24巻9号(1918年7月1日)
英米関係と日本『日本及日本人』734号(1918年7月1日)
グレイ卿に与へて国際聯盟を論ずるの書『中外』2巻9号(1918年8月)
黒山国の将来『外交時報』28巻330号(1918年8月1日)
米国と外人兵役協約『国際法外交雑誌』17巻1号(1918年9月)
希臘の新形勢『外交時報』28巻332号(1918年9月1日)
チエック・スロワックと聯合国『太陽』24巻11号(1918年9月1日)
原内閣に対する外交上の希望『中央公論』33巻11号(1918年10月)
アビシニア革命及対外関係『外交時報』28巻334号(1918年10月1日)
英国政界の一大問題『外交時報』28巻335号(1918年10月15日)
独逸の講和提唱と所謂十四条件『大日本』5巻11号(1918年11月)
講和会議に就て『外交時報』28巻338号(1918年12月1日)
今後の露西亜と日本『中外』3巻1号(1919年1月)
ハイチ共和国新憲法『外交時報』29巻340号(1919年1月1日)
講和と米国全権(上)『外交時報』29巻341号(1919年1月15日)
国際聯盟の前途に横はれる難関『新公論』34巻2号(1919年2月)
独逸講和と羅馬尼『国際法外交雑誌』17巻6号(1919年2月)
講和と米国全権(下)『外交時報』29巻342号(1919年2月1日)
独逸領土の変動『太陽』25巻2号(1919年2月1日)
国際仲裁の一問題『外交時報』29巻344号(1919年3月1日)
国際聯盟規約に就て『外交時報』29巻345号(1919年3月15日)
講和会議論評『太陽』25巻4号(1919年4月)
講和会議と希臘『外交時報』29巻347号(1919年4月15日)
講和会議と対露政策『東方時論』4巻5号(1919年5月)
ルクサンブルク問題『国際法外交雑誌』17巻9号(1919年5月)
講和会議の発展『外交時報』29巻348号(1919年5月1日)
人種差別撤廃否決に就て『外交時報』29巻349号(1919年5月15日)
対独講和条約案を読む『中央公論』34巻6号(1919年6月)
講和会議論評『太陽』25巻7号(1919年6月)
委任統治と領有―英仏の獲得せんとする除外例『外交時報』29巻351号(1919年6月15日)
不人望なる日本と葡萄牙『外交時報』30巻352号(1919年7月1日)
墺太利の運命『太陽』25巻9号(1919年7月1日)
排日問題再燃に就て『外交時報』30巻353号(1919年7月15日)
講和条約に就て(上)『外交時報』30巻354号(1919年8月1日)
講和条約に就て(下)『外交時報』30巻355号(1919年8月15日)
講和会議正文を手にして『太陽』25巻11号(1919年9月)
米国労働形勢『外交時報』30巻356号(1919年9月1日)
独丁間の領土問題『外交時報』30巻357号(1919年9月15日)
国際労働会議『太陽』25巻12号(1919年10月)
英国と白耳義との外交関係『外交時報』30巻358号(1919年10月1日)
講和会議の矛盾―最近の人種問題『外交時報』30巻359号(1919年10月15日)
バナート問題『国際法外交雑誌』18巻3号(1919年11月)
講和条約後の独逸『太陽』25巻13号(1919年11月1日)
英仏間の外交問題『外交時報』30巻361号(1919年11月15日)
滅び行く波斯帝国『東方時論』4巻12号(1919年12月)
サイプルス島問題『外交時報』30巻362号(1919年12月1日)
スピツツベルゲンの処分決定に際して『外交時報』31巻364号(1920年1月1日)
新巴爾幹の形勢『太陽』26巻1号(1920年1月1日 )
西伯利撤兵の急務『中央公論』35巻2号(1920年2月)
パレスチンと英国『国際法外交雑誌』18巻5号(1920年2月)
大戦損害の最近統計『外交時報』31巻366号(1920年2月1日)
欧洲外交の変局『外交時報』31巻367号(1920年2月15日)
講和条約と米国『太陽』26巻3号(1920年3月)
米国出生日本人の市民権『外交時報』31巻368号(1920年3月1日)
土国君府領有決定に就て『外交時報』31巻369号(1920年3月15日)
欧洲に於ける改造問題『中央公論』35巻4号(1920年4月)
過激派政府持続に就て(上)『外交時報』31巻370号(1920年4月1日)
過激派政府持続に就て(下)『外交時報』31巻371号(1920年4月15日)
中央欧羅巴の新形勢(上)『外交時報』31巻373号(1920年5月15日)
新独逸の政局『中央公論』35巻6号(1920年6月)
中央欧羅巴の新形勢(下)『外交時報』31巻374号(1920年6月1日)
日英同盟と英米関係『太陽』26巻8号(1920年7月)
米国大統領候補選定に就て『外交時報』32巻378号(1920年8月1日)
希臘の政局(上)『国際法外交雑誌』19巻2号(1920年10月)
排日問題の解決方法『国際法外交雑誌』19巻3号(1920年11月)
排日問題の真相『婦人公論』5巻11号(1920年11月)
伊太利の新アルバニア政策『外交時報』32巻384号(1920年11月1日)
排日問題の解決方法(中)『国際法外交雑誌』19巻4号(1920年12月)
排日問題の解決方法(完結)『国際法外交雑誌』20巻1号(1921年1月)
民族自決の要求と其苦悩『婦人公論』6巻1号(1921年1月)
新春の対外関係『外交時報』33巻388号(1921年1月1日)
近東の一大問題(上)―希臘政局変動と外交関係『国際法外交雑誌』20巻2号(1921年2月)
国際聯盟と米国『国際連盟』1巻2号(1921年2月)
近東の一大問題(下)―希臘政局変動と外交関係『国際法外交雑誌』20巻3号(1921年3月)
新大統領の政策如何『太陽』27巻3号(1921年3月)
過激派政府の対外策『外交時報』33巻394号(1921年4月1日)
ヤップ島問題の過去及現在『太陽』27巻7号(1921年6月)
我儘育ちの若旦那―悪く取り過ぎてはならぬ 善い所も少く無い(特輯:米国の対世界的態度批判)『中央公論』36巻6号(1921年6月)
米国外交の成行と英仏独『東方時論』6巻7号(1921年7月)
米国の態度一新に就て『外交時報』34巻401号(1921年7月15日)
華盛頓会議の由来と予の希望(特輯:太平洋会議の批判)『中央公論』36巻9号(1921年8月)
華盛頓会議と英国『外交時報』34巻403号(1921年8月15日)
北欧三国の聯盟規約修正案に就て(上)『国際法外交雑誌』20巻7号(1921年9月)
太平洋会議の一面『太陽』27巻11号(1921年9月)
太平洋会議の話『婦人公論』6巻10号(1921年9月)
北欧三国の聯盟規約修正案に就て(下)『国際法外交雑誌』20巻8号(1921年10月)
山東交渉条件に接して『外交時報』34巻406号(1921年10月1日)
海外新聞電報及び通信に就て『国家学会雑誌』35巻1号(1921年11月)
新聞界の現状と新聞記者の資格『雄弁』13巻1号(1922年1月)
第一海牙万国平和会議―一八九九年『中央史壇』4巻1号(1922年1月)
近東から中央欧羅巴へ『外交時報』35巻412号(1922年1月1日)
華盛頓会議の成果『旬刊朝日』1巻1号(1922年2月25日)
羅馬法王の外交『外交時報』35巻418号(1922年4月1日)
土地近接に基く米国の外交(上)―石井ランシング協定消滅説に付いて『法律及政治』1巻1号(1922年5月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』21巻5号(1922年5月)
アルバニア国の地位(上)『外交時報』35巻421号(1922年5月15日)
ゼノア会議の話『婦人公論』7巻6号(1922年6月)
アルバニア国の地位(中)『外交時報』35巻423号(1922年6月15日)
欧洲外交の一大問題『太陽』28巻9号(1922年7月)
土地近接に基く米国の外交(中)―石井ランシング協定消滅説に付いて『法律及政治』1巻3号(1922年7月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』21巻6号(1922年7月)
不侵略協定に就て―ゼノア会議一成果『外交時報』36巻424号(1922年7月1日)
アルバニア国の地位(下)『外交時報』36巻426号(1922年8月1日)
欧羅巴の悩み『中央公論』37巻10号(1922年9月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』21巻7号(1922年9月)
ノースクリフ卿の死『外交時報』36巻429号(1922年9月15日)
外交問題の話『週刊朝日』2巻12号(1922年9月15日)
列強の対独対露政策批判『中央公論』37巻11号(1922年10月)
土地近接に基く米国の外交(下ノ一)―石井ランシング協定消滅説に就て『法律及政治』1巻6号(1922年10月)
タケ・ヨネスク論(上)―羅馬尼政治外交の一面『国家学会雑誌』36巻10号(1922年10月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』21巻8号(1922年10月)
土耳其問題の紛糾『外交時報』36巻431号(1922年10月15日)
土地近接に基く米国の外交(下ノ二)―石井ランシング協定消滅説に於て『法律及政治』1巻7号(1922年11月)
タケ・ヨネスク論(下)『国家学会雑誌』36巻11号(1922年11月)
近東刻下の形勢『国際連盟』2巻11号(1922年11月)
近東問題の話『婦人公論』7巻12号(1922年11月)註10
米洲外交時事『国際法外交雑誌』21巻9号(1922年11月)
紛糾を極むる近東問題『太陽』28巻13号(1922年11月1日)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』21巻10号(1922年12月)
労農露国の外交『中央公論』38巻1号(1923年1月)
世界の変態を望見して『雄弁』14巻1号(1923年1月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻1号(1923年1月)
近東形勢の一面―希臘の政情『外交時報』37巻436号(1923年1月1日)
国際聯盟の現状と其の将来『太陽』29巻2号(1923年2月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻2号(1923年2月)
ルール占領問題『外交時報』37巻439号(1923年2月15日)
リトアニアとメーメル『国際法外交雑誌』22巻3号(1923年3月)
ヨツフヱ来朝と対露政策『中央公論』38巻3号(1923年3月)
日本の国際関係の推移(一)『斯民』18巻3号(1923年3月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻3号(1923年3月)
デルカツセからポアンカレーへ『中央公論』38巻4号(1923年4月)
日本の国際関係の推移(二)『斯民』18巻4号(1923年4月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻4号(1923年4月)
米国の新移民政策(上)『外交時報』37巻442号(1923年4月1日)
米国と国際平和『国際知識』3巻5号(1923年5月)
国粋党内閣の出現と対欧関係『斯民』18巻5号(1923年5月)
日支協約廃棄問題『婦人公論』8巻5号(1923年5月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻5号(1923年5月)
米国の新移民政策(下)『外交時報』37巻444号(1923年5月1日)
救はれんとする土耳其『週刊朝日』3巻23号(1923年5月20日)
露国承認不可なし『中央公論』38巻6号(1923年6月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻6号(1923年7月)
モンロー主義と日本『外交時報』38巻448号(1923年7月1日)
労農露西亜の親土政策『太陽』29巻9号(1923年7月1日)
日露予備交渉の批判『中央公論』38巻9号(1923年8月)
露西亜承認と世界各国『婦人公論』8巻9号(1923年8月)註11
反動政治の運命『中央公論』38巻10号(1923年9月)
ハーディングとクーリッジ『外交時報』38巻452号(1923年9月1日)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻7号(1923年10月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻8号(1923年11月)
伊太利の新外交(上)『外交時報』38巻455号(1923年11月15日)
大戦後の塞白仏英と震災後の日本(特輯:戦禍の試練に遭うた欧洲と天災の試練に遭うた日本)『中央公論』38巻13号(1923年12月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』22巻9号(1923年12月)
伊太利の新外交(下)『外交時報』38巻456号(1923年12月1日)
独仏の外交関係―ライン問題に関聯して『改造』6巻1号(1924年1月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻1号(1924年1月)
重大なる英国の政局『外交時報』39巻458号(1924年1月1日)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻2号(1924年2月)
英国の上院と日本の上院『太陽』30巻2号(1924年2月1日)
欧洲最近の形勢『国際知識』4巻3号(1924年3月)
英国最初の労働党内閣とその政策『中央公論』39巻3号(1924年3月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻3号(1924年3月)
露国承認問題『外交時報』39巻462号(1924年3月1日)
米国の一般移民制限案と日本人特殊禁止案『中央公論』39巻4号(1924年4月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻4号(1924年4月)
米国排日法案の成立と其対策『改造』6巻5号(1924年5月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻5号(1924年5月)
大使公使の沿革権限『週刊朝日』5巻20号(1924年5月4日)
排日的移民法に接して(上)『外交時報』39巻467号(1924年5月15日)
日米移民問題と大統領『日本及日本人』48号(1924年5月15日)
難関蝟集の日米交渉『中央公論』39巻6号(1924年6月)
日米問題に就て『斯民』19巻6号(1924年6月)
排日的移民法に接して(下)『外交時報』39巻468号(1924年6月1日)
日米移民問題(一)『国家学会雑誌』38巻7号(1924年7月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻6号(1924年7月)
日米外交最近の関係『皇国』307号(1924年7月)
国交と国旗『週刊朝日』6巻3号(1924年7月13日)
今後の移民問題『外交時報』40巻471号(1924年7月15日)
帝国の重大時機と国民の国際的常識『中央公論』39巻9号(1924年8月)
日米移民問題(二・完)『国家学会雑誌』38巻8号(1924年8月)
東洋諸民族の覚醒『中央公論』39巻9号(1924年9月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻7号(1924年9月)
米国移民政策の一面『外交時報』40巻474号(1924年9月1日)
近時の外交問題―日米問題-支那問題-露国問題『朝鮮及満洲』203号(1924年10月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻8号(1924年10月)
動乱の支那対策と停頓の日露交渉前途『中央公論』39巻12号(1924年11月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻9号(1924年11月)
英国議会の解散『外交時報』40巻478号(1924年11月1日)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』23巻10号(1924年12月)
米国共和党の勝利に就て『外交時報』40巻480号(1924年12月1日)
日本の外交的環境『中央公論』40巻1号(1925年1月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻1号(1925年1月)
英吉利と埃及『外交時報』41巻482号(1925年1月1日)
松平大使の任命に際して『外交時報』41巻483号(1925年1月15日)
英米と日本―国際的疑懼心と平和主義『国際知識』5巻2号(1925年2月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻2号(1925年2月)
日露基本協約と其齎らす可き利益『中央公論』40巻3号(1925年3月)註19
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻3号(1925年3月)
米国人の特質、特色(特集:廿世紀の謎 世界の驕児 米国及び米国人の研究)『中央公論』40巻4号(1925年4月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻4号(1925年4月)
近東の一大問題『外交時報』41巻488号(1925年4月1日)
一九二一、二年華府会議と来るべき軍縮会議―附、諸氏の討論『国際知識』5巻5号(1925年5月)
日露基本協約の齎すべき利益『斯民』20巻5号(1925年5月)註20
ヒンデンブルグ大統領の起立事情と今後の独逸政局『中央公論』40巻6号(1925年6月)
世界列国の現状を大観して『中央公論』40巻7号(1925年6月)
伊太利の政局(上)『外交時報』41巻493号(1925年6月15日)
現今の外交問題に就て『日本弁護士協会録事』29巻7号(1925年7月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻6号(1925年7月)
伊太利の政局(下)『外交時報』42巻495号(1925年7月15日)
支那の国権回復問題『改造』7巻8号(1925年8月)
米支条約上の支那移民権『支那』16巻8号(1925年8月)
治外法権なる語の使用に就て『外交時報』42巻497号(1925年8月15日)
支那の国権運動と英米の政策『中央公論』40巻9号(1925年9月)
現今の外交問題に就て(承前)『日本弁護士協会録事』29巻8号(1925年9月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻7号(1925年9月)
現今の外交問題に就て(承前)『日本弁護士協会録事』29巻9号(1925年10月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻8号(1925年10月)
ヒューズからケロッグヘ『外交時報』42巻500号(1925年10月1日)
日露外交関係『商工経済研究』1巻1号(1925年11月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻9号(1925年11月)
支那の動乱に就いて『中央公論』40巻13号(1925年12月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』24巻10号(1925年12月)
英帝国の一大問題『外交時報』42巻505号(1925年12月15日)
治外法権問題の一面『支那』17巻1号(1926年1月)
日米外交関係『商工経済研究』1巻2号(1926年1月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』25巻1号(1926年1月)
年頭の国際政治所感(上)『外交時報』43巻506号(1926年1月1日)
年頭の国際政治所感(下)―軍備縮小会議の効果と各国の態度『外交時報』43巻507号(1926年1月15日)
最近国際聯盟活動の一面『国際知識』6巻2号(1926年2月)
治外法権問題の一面『支那』17巻2号(1926年2月)
支那の治外法権会議『中央公論』41巻2号(1926年2月)
排日法以後の米国移民立法問題(上)『国家学会雑誌』40巻2号(1926年2月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』25巻2号(1926年2月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』25巻3号(1926年3月)
ソウヰツト・ロシアの外交(上)『外交時報』43巻511号(1926年3月15日)
汎米会議の将来―残されたる加奈陀の参加問題『国際法外交雑誌』25巻4号(1926年4月)
排日移民法実施後の在米日本移民『太陽』32巻4号(1926年4月)
排日法以後の米国移民立法問題(下)『国家学会雑誌』40巻4号(1926年4月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』25巻4号(1926年4月)
ソウヰツト・ロシアの外交(下)『外交時報』43巻512号(1926年4月1日)
ロカルノ協定と国際聯盟の危機『政経論叢(明大)』1巻1号(1926年5月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』25巻5号(1926年5月)
英国の大罷業につきて『中央公論』41巻6号(1926年6月)
雑司ヶ谷漫筆『文藝春秋』4巻6号(1926年6月)
波蘭のクーデター『外交時報』43巻517号(1926年6月15日)
海外時事論評―英国炭坑問題の政治的影響・自由党の分裂・米仏戦債問題の解法(米国が受くる利益)・ポーランドの革命・支那関税会議の逆転『政経論叢(明大)』1巻2号(1926年7月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』25巻6号(1926年7月)
西アジア、バルカン、バルチックの平和保障問題『国際知識』6巻8号(1926年8月)
関税会議失敗の原因『改造』8巻9号(1926年8月)
英国の労働争議に就て『丁酉倫理会倫理講演集』286号(1926年8月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』25巻7号(1926年9月)
国際経済会議の一面(上)『外交時報』44巻522号(1926年9月1日)
岩手県に遊びて『経済往来』1巻8号(1926年10月)
米洲外交時事『国際法外交雑誌』25巻8号(1926年10月)
国際経済会議の一面(下)『外交時報』44巻524号(1926年10月1日)
ムソリニー新膨脹政策―ローマ帝国復活の実現如何『政経論叢(明大)』1巻3号(1926年10月1日)
イタリーの反動政治と其反対派『中央公論』42巻1号(1927年1月)
バルカンの巨頭殞つ『外交時報』45巻531号(1927年1月15日)
加奈陀公使の新任『国際法外交雑誌』26巻2号(1927年2月)
英国の関税提案並に最近租界事件(特輯:支那の対外運動と各国対支政策の転向)『中央公論』42巻2号(1927年2月)
支那最近の形勢を望見して『改造』9巻2号(1927年2月)
米国の軍備縮少会議提唱事情(上)『国際法外交雑誌』26巻4号(1927年4月)
経済的に眺めた国際形勢『文藝春秋』5巻4号(1927年4月)
第二軍縮会議提案の内情『朝鮮及満洲』233号(1927年4月)
軍備縮小会議の一面(上)『外交時報』45巻536号(1927年4月1日)
軍備縮小会議の一面(下)『外交時報』45巻537号(1927年4月15日)
米国の軍備縮少会議提唱事情(下)『国際法外交雑誌』26巻5号(1927年5月)
支那と日本『企業と社会』14号(1927年5月)
動き行く支那の局面を観て『中央公論』42巻5号(1927年5月)
米国の東洋外交『政経論叢(明大)』2巻2号(1927年5月)
最近の支那の事情と我国との関係『婦人世界』22巻6号(1927年6月)
米国と太平洋及支那(上)『外交時報』46巻544号(1927年8月1日)
失敗せる海軍制限会議―その一断面を検す『企業と社会』18号(1927年9月)
米国と太平洋及支那(下)『外交時報』46巻546号(1927年9月1日)
ザグルル・パーシアの死去と英埃関係(一)『国際法外交雑誌』26巻8号(1927年10月)
ザグルル・パーシアの死去と英埃関係(二)『国際法外交雑誌』26巻9号(1927年11月)
満蒙より帰りて『朝鮮及満洲』240号(1927年11月)
東三省の治外法権問題『外交時報』46巻550号(1927年11月1日)
ザグルル・パーシアの死去と英埃関係(三完)『国際法外交雑誌』26巻10号(1927年12月)
最近の米国移民問題『企業と社会』21号(1927年12月)
満鉄社債と米国『企業と社会』22号(1928年1月)
満洲政策の一面(上)『外交時報』47巻554号(1928年1月1日)
満洲政策の一面(下)『外交時報』47巻555号(1928年1月15日)
米仏不戦条約問題『中央公論』43巻2号(1928年2月)
日露戦後の露支関係『政経論叢(明大)』3巻1号(1928年2月)
印度最近形勢と英国(上)『国際法外交雑誌』27巻4号(1928年4月)
米国とフィリッピン『国際知識』8巻4号(1928年4月)
イギリスの西蔵政策『支那』19巻4号(1928年4月)
フランスと極東『外交時報』47巻560号(1928年4月1日)
印度最近形勢と英国(下)『国際法外交雑誌』27巻5号(1928年5月)
支那と列強の外交『我観』56号(1928年6月)
支那に於ける英国の地位『政経論叢(明大)』3巻2号(1928年6月)
最近紛糾した英埃問題『外交時報』47巻564号(1928年6月1日)
張遭難後の満洲『改造』10巻7号(1928年7月)
ボーラーの一群『文藝春秋』6巻7号(1928年7月)
米国の対支政策『東洋』31巻7号(1928年7月)
現下に於ける満洲問題に就て(上)『法律論叢(明大)』7巻8号(1928年9月)
現下に於ける満洲問題に就て(下)『法律論叢(明大)』7巻9号(1928年10月)
所感二則『外交時報』48巻572号(1928年10月1日)
ラジッチ氏の死とユーゴスラヴヰアの形勢(上)『国際法外交雑誌』27巻9号(1928年11月)
英仏協定の発表に接して『外交時報』48巻575号(1928年11月15日)
ラジッチ氏の死とユーゴスラヴヰアの形勢(下)『国際法外交雑誌』27巻10号(1928年12月)
日本の国際関係『法曹公論』31巻11号(1928年12月)
昭和四年の劈頭に立ちて―日支交渉‥国際無理解‥国際平和組織の完成『国際知識』9巻1号(1929年1月)
政治分会問題『東亜』2巻1号(1929年1月)
1928年度海外政治事情-支那-『国家学会雑誌』43巻1号(1929年1月)
今春に現はれた一大変革『外交時報』49巻580号(1929年2月1日)
法王領独立の回復『国際法外交雑誌』28巻4号(1929年4月)
日本の国際関係『警務彙報』276号(1929年4月)
スカンヂナヰアの新局面『外交時報』50巻585号(1929年4月15日)
済南事件解決と日支の将来『中央公論』44巻5号(1929年5月)
対支武器禁輸協定廃棄問題『東亜』2巻6号(1929年6月)
北信の旅から『文藝春秋』7巻6号(1929年6月)
英国労働内閣と軍縮問題『国際知識』9巻7号(1929年7月)
蘭領東印度の地位『外交時報』51巻591号(1929年7月15日)
露支間の東支鉄道問題『政経論叢(明大)』4巻3号(1929年9月)
太平洋問題『産業』6巻9号(1929年9月)
パレスチン騒乱に就て『外交時報』52巻596号(1929年10月1日)
日支不侵略協定の説に就きて『支那』20巻11号(1929年11月)
南米と支那―イギリス系事業が与ふる教訓『東亜』2巻11号(1929年11月)
太平洋問題の核心『中央公論』44巻12号(1929年12月)
海軍制限問題の一面『外交時報』52巻600号(1929年12月1日)
支那の法権回復問題につきて『法学新潮』110号(1930年)註1
急転の支那形勢『国際知識』10巻1号(1930年1月)
1929年度海外政治事情-支那-『国家学会雑誌』44巻1号(1930年1月)
軍縮会議の形勢を見て『外交時報』53巻605号(1930年2月15日)
ロンドン海軍軍備制限会議につきて(上)『国際法外交雑誌』29巻3号(1930年3月)
中華民国の政局につきての所感『支那』21巻3号(1930年3月)註6
ロンドン海軍軍備制限会議につきて(下)『国際法外交雑誌』29巻4号(1930年4月)
インド自治問題『政経論叢(明大)』5巻1・2号(1930年4月)
財政上より見たるロンドン軍縮会議『明大商学論叢』8巻1号(1930年4月)
アフガニスタンとイギリス『外交時報』54巻608号(1930年4月1日)
東亜の覚醒とインド辺彊諸王領『東亜』3巻5号(1930年5月)
日米移民問題の解決如何『外交時報』54巻613号(1930年6月15日)
日米移民新立法説につきて『法律時報』2巻8号(1930年8月)
カナダ保守党の勝利につきて『国際知識』10巻9号(1930年9月)
ラテン・アメリカの政治『政経論叢(明大)』5巻4号(1930年10月)
インドはどうなるイギリスはどうなる『文藝春秋』8巻11号(1930年10月)
二箇の重大なる動き『外交時報』56巻620号(1930年10月1日)
日露漁業権問題(上)『国際法外交雑誌』29巻9号(1930年11月)
日露漁業権問題(下)『国際法外交雑誌』29巻10号(1930年12月)
米国の対支親善策の一面『支那』21巻12号(1930年12月)
支那の新らしき動き『外交時報』56巻625号(1930年12月15日)
訓政問題の外交的意義『東亜』4巻1号(1931年1月)
1930年度海外政治事情-支那-『国家学会雑誌』45巻1号(1931年1月)
亜米利加の対華親善策『日支』4巻2号(1931年2月)
印度の抗英運動『改造』13巻3号(1931年3月)
満洲問題の現状『三田評論』403号(1931年3月)
国際聯盟の対支借款斡旋説『東亜』4巻4号(1931年4月)
仏露同盟並びに其財政関係『政経論叢(明大)』6巻2号(1931年4月)
日米移民の一問題『外交時報』58巻632号(1931年4月1日)
英独会商と賠償問題(上)『外交時報』59巻638号(1931年7月1日)
英独会商と賠償問題(中)『外交時報』59巻639号(1931年7月15日)
英独会商と賠償問題(下)『外交時報』59巻640号(1931年8月1日)
インド新総督(時評)『東洋』34巻9号(1931年9月)
支那時局の動き(時評)『東洋』34巻9号(1931年9月)
ドイツ問題とフランス(時評)『東洋』34巻9号(1931年9月)
スペインの難関(時評)『東洋』34巻9号(1931年9月)
トルコとイラク(時評)『東洋』34巻9号(1931年9月)
満洲の難局(時評)『東洋』34巻10号(1931年10月)
フイリツピン問題再燃(時評)『東洋』34巻10号(1931年10月)
英領馬来と支那人(時評)『東洋』34巻10号(1931年10月)
イギリスの動き(時評)『東洋』34巻10号(1931年10月)
トルコ人と実業界(時評)『東洋』34巻10号(1931年10月)
パレスチンの人種軋轢(時評)『東洋』34巻10号(1931年10月)
国際的に見た満洲事変『中央公論』46巻11号(1931年11月)
英国経済難の由来と対策『新潮』28巻11号(1931年11月)
ドイツ賠償問題『政経論叢(明大)』6巻3・4号(1931年11月)
満洲事変につきて(時評)『東洋』34巻11号(1931年11月)
排日運動の拡大(時評)『東洋』34巻11号(1931年11月)
フランスの黄金外交(時評)『東洋』34巻11号(1931年11月)
米国と日支移民(時評)『東洋』34巻11号(1931年11月)
ロシアと支那(時評)『東洋』34巻11号(1931年11月)
満洲事変と自衛権『外交時報』60巻646号(1931年11月1日)
満洲問題と米国の外交『東亜』5巻1号(1932年1月)
1931年度海外政治事情-支那-『国家学会雑誌』46巻1号(1932年1月)
イギリス政局と日英関係『外交時報』61巻650号(1932年1月1日)
再燃の独逸賠償問題『国際知識』12巻2号(1932年2月)
錦州は何故に問題になつたか『中央公論』47巻2号(1932年2月)
満洲事変の外交と軍縮会議『現代』13巻2号(1932年2月)
日露不侵略条約問題(上)『外交時報』61巻653号(1932年2月15日)
ドイツ賠償問題の一面『東洋』35巻3号(1932年3月)
日露不侵略条約問題(下)『外交時報』61巻654号(1932年3月1日)
英帝国の一大問題―アイルランドの新局面と帝国の崩壊『政経論叢(明大)』7巻2号(1932年4月)
民族主義運動の現勢『世界知識』2巻4号(1932年4月)
支那はどうなるか(特輯:支那とはどんな国か)『婦人公論』17巻4号(1932年4月)
満洲国について『家庭』2巻5号(1932年5月)
比島独立問題につきて『外交時報』62巻660号(1932年6月1日)
満洲国と米国の承認政策『東亜』5巻7号(1932年7月)
満洲問題の一面『政経論叢(明大)』7巻3号(1932年7月)
新満洲国の承認問題『世界知識』2巻5号(1932年7月)
米国大統領選挙の話『文藝春秋』10巻8号(1932年8月)
ローザンヌ協定に接して『外交時報』63巻664号(1932年8月1日)
国際聯盟・日本・満洲国『経済往来』7巻11号(1932年10月)
独逸帝政派の動き『世界知識』3巻4号(1932年10月)
満洲国承認問題を中心として『婦選』6巻10号(1932年10月)
日露漁業特別協定につきて『外交時報』64巻668号(1932年10月1日)
チベットとイギリスの動き『改造』14巻11号(1932年11月)
聯盟調査団の報告につきて『日本国民』1巻7号(1932年11月)
日支問題調査団報告の一面『東洋』35巻11号(1932年11月)
チベット問題の進展につきて『外交時報』64巻671号(1932年11月15日)
松岡全権の人物―青年時代を顧みて『現代』13巻12号(1932年12月)
フランスと日本との関係につきて『国際法外交雑誌』31巻10号(1932年12月)
米国大統領選挙事情『法学協会雑誌』51巻1号(1933年1月)
1932年度海外政治事情-支那及満洲国-『国家学会雑誌』47巻1号(1933年1月)註8
外交はどうなる?『現代』14巻1号附録(1933年1月1日)
露支国交の回復『外交時報』65巻675号(1933年1月15日)
露支復交と日露不侵略条約『経済往来』8巻2号(1933年2月)
米国新執政と対日政策『東亜』6巻2号(1933年2月)
聯盟脱退の話『教育時論』1716号(1933年2月)
日支問題と国際関係『三田評論』427号(1933年3月)
重大化せる日本外交の立場―日支問題と国際連盟『実業之日本』36巻5号(1933年3月)
東にアメリカ・北にロシヤ 太平洋を繞る列国の魂胆『現代』14巻3号(1933年3月)
外交政策から見た世界の現状『財政経済時報』20巻3号(1933年3月)
今日の世界情勢『講演』8巻31号(1933年3月5日)
フヰリッピン独立と米国極東政策―独立法案可決の影響如何『政経論叢(明大)』8巻2号(1933年4月)
揉みに揉んだ聯盟会議『雄弁』24巻4/第二附録号(1933年4月)
世界展望『世界知識』4巻5号(1933年5月)
欧洲不安と四国協約問題『国際評論』2巻5号(1933年5月)
変化しつゝある米英露関係―米国のロシア承認問題と英露紛争事件『外交時報』66巻682号(1933年5月1日)
「小協商」の動き『国際知識』13巻6号(1933年6月)
米国民主党政府の外交政策『新日本同盟会報』昭和8年6月号(1933年6月)
世界外交の動き『東洋』36巻8号(1933年8月)
ロシアの協和外交『外交時報』67巻688号(1933年8月1日)
聯盟の対支技術的援助に就きて『支那』24巻10号(1933年10月)
キュバの革命と対米関係『国際法外交雑誌』32巻9号(1933年11月)
日印会商と英国との関係『外交時報』68巻694号(1933年11月1日)
イギリスとアジア―その印度政策を検して『東亜』6巻12号(1933年12月)
日米調停仲裁条約『世界知識』5巻6号(1933年12月)
米露復交愈々成る『外交時報』68巻697号(1933年12月15日)
ヨーロッパ政局の考察『政経論叢(明大)』9巻1号(1934年1月)
昭和九年の劈頭に立ちて『支那』25巻1号(1934年1月)
昭和九年の世界展望『日本魂』19巻1号(1934年1月)
満洲国帝制と国際関係『経済往来』9巻3号(1934年3月)
達頼喇嘛の死と国際関係『東洋』37巻3号(1934年3月)
汎米会議の新発展(上)―欧洲勢力招致と米国の武力不干渉誓約『外交時報』69巻702号(1934年3月1日)
汎米会議の新発展(下)―欧洲勢力招致と米国の武力不干渉誓約『外交時報』69巻703号(1934年3月15日)
大満洲帝政成る『支那』25巻4号(1934年4月)
米国の互恵条約促進は如何『国際知識』14巻4号(1934年4月)
戦因としての英独並に日英商業競争『経済往来』9巻4号(1934年4月)
広田・ハル交驩の意義『外交時報』70巻705号(1934年4月15日)
比律賓独立問題の新発展『国際知識』14巻5号(1934年5月)
来る可き日蘭会商『改造』16巻7号(1934年6月)
真の太平洋時代来る(特集・支那の通商と産業)『支那』25巻6号(1934年6月)
日本の非公式声明『世界知識』6巻6号(1934年6月)
日濠交渉につきて『外交時報』70巻708号(1934年6月1日)
日支関係改善と支那の政治経済『政経論叢(明大)』9巻3号(1934年7月)
米欧の排日(特集:日本はなぜ排斥されるか)『中央公論』49巻7号(1934年7月)
アラビヤ人の動き『国際知識』14巻7号(1934年7月)
米国とラテンアメリカ『経済往来』9巻7号(1934年7月)
日支関係の好転『世界知識』7巻1号(1934年7月)
切迫したるザアル帰属問題『国家学会雑誌』48巻7号(1934年7月)
近時の日支関係『商工経済研究』9巻3・4特輯号(1934年10月)
その後の日英『経済往来』9巻10号(1934年10月)
支那の形勢を展望して『朝鮮及満洲』323号(1934年10月)
ロシアと国際聯盟(上)『外交時報』72巻716号(1934年10月1日)
ロシアと国際聯盟(下)『外交時報』72巻717号(1934年10月15日)
満洲国に関する二問題―英軍隊の国境演習とニカラグァ承認説『東亜』7巻11号(1934年11月)
門戸開放機会均等主義の運用(特集・満洲国と門戸開放問題)『支那』25巻12号(1934年12月)
ムソリーニの動きを望見して『外交時報』72巻720号(1934年12月1日)
米国の政治的状勢を観望して『大日』94号(1935年1月1日)
成立したる仏伊新協約『国際知識』15巻2号(1935年2月)
米国の「海洋自由」変改説につきて(上)『外交時報』73巻724号(1935年2月1日)
米国の「海洋自由」変改説につきて(下)『外交時報』73巻725号(1935年2月15日)
北鉄交渉の成立と今後の日満露関係『支那』26巻3号(1935年3月)註7
日支関係一新の好気運『経済往来』10巻3号(1935年3月)
新発展のイタリー、エチオピア関係『世界知識』8巻3号(1935年3月)
イギリス外交の基調『政経論叢(明大)』10巻2号(1935年4月)
聯盟離脱後に於ける国際関係の推移『旬刊講演集』13巻10号(1935年4月)
米国の排日運動再燃―アリゾナ州の新土地法案を中心として『外交時報』74巻728号(1935年4月1日)
米国の所謂「新外交」につきて『大日』102号(1935年5月1日)
独・波を緯る欧洲外交の展望『世界知識』8巻6号(1935年6月)
仏露相互援助条約に接して『外交時報』74巻733号(1935年6月15日)
イギリス内閣の改造『経済往来』10巻7号(1935年7月)
英、仏両国の政情相違―その国民性と政治組織を見る『婦人運動』13巻6号(1935年7月)
英仏両大国の政変『創造』(1935年7月号)
日支関係をどうする『経済往来』10巻8号(1935年8月)
日露石油利権と米露通商協定『外交時報』75巻739号(1935年9月15日)
満洲国の治外法権撤廃『支那』26巻10号(1935年10月)
モンロー主義及機会均等主義『政経論叢(明大)』10巻4号(1935年10月)
重大化した伊エ紛争『日本評論』10巻10号(1935年10月)
ロシアの赤化宣伝と列強の抗議―並びに米露国交の緊張『世界知識』8巻10号(1935年10月)
世界の偉人を語る『キング』11巻11号(1935年10月)
伊太利・エチオピアを中心とする国際政局『法学協会雑誌』53巻11号(1935年11月)
アドワ雪辱の伊エ戦報を迎へて(特集・伊エ戦は日本にどう響くか)『日本評論』10巻11号(1935年11月)
世界の偉人を語る『キング』11巻12号(1935年11月)
伊・エ紛争の今後(上)『外交時報』76巻743号(1935年11月15日)
支那の対英借款(特集・燃えあがる支那問題)『日本評論』10巻12号(1935年12月)
エチオピアはどうなる?『世界知識』8巻12号(1935年12月)
伊・エ紛争の今後(下)『外交時報』76巻744号(1935年12月1日)
一九三五年の日満支外交関係『支那』27巻1号(1936年1月)
チ国新大統領と今後の外交『国際知識』16巻2号(1936年2月)
伊エ紛争の形勢を望見して(上)『外交時報』77巻750号(1936年3月1日)
伊エ紛争の形勢を望見して(下)『外交時報』77巻751号(1936年3月15日)
ロシアと満洲、新彊、外蒙の関係『政経論叢(明大)』11巻2号(1936年4月)
新英帝エドワード八世陛下『文藝春秋』14巻4号(1936年4月)
所謂露支提携論に就いて『支那』27巻4号(1936年4月)
来るべき汎米会議の意義『世界知識』9巻4号(1936年4月)
露蒙相互援助条約を論ず『外交時報』78巻754号(1936年5月1日)
日本の大陸政策(特集・大陸政策とその限界)『日本評論』11巻6号(1936年6月)
独墺合併問題を検討す『世界知識』9巻6号(1936年6月)
独伊の活躍と欧洲の暗雲『雄弁』27巻7号(1936年7月)
墺国復辟説再燃に際して『外交時報』79巻758号(1936年7月1日)
満洲国を巡回して『外交時報』79巻763号(1936年9月15日)
英伊地中海角逐につきて『国際知識』16巻10号(1936年10月)
スペイン動乱を解剖する『世界知識』9巻10号(1936年10月)
ルーマニアの変調と小協商の将来『国際法外交雑誌』35巻9号(1936年11月)
日露支関係の一面『支那』27巻11号(1936年11月)
スペイン動乱の話『キング』12巻12号(1936年11月)
日独同盟か日英同盟か『日本評論』11巻12号(1936年12月)
ヨーロッパ政局の変調―ドイツ、イタリー接近とベルギー及び小協商の動き『世界知識』9巻12号(1936年12月)
米国民主党大勝と政治外交(上)『外交時報』80巻768号(1936年12月1日)
米国民主党大勝と政治外交(下)『外交時報』80巻769号(1936年12月15日)
帝国外交とは何か『日本評論』12巻1号(1937年1月)
日独伊提携の解剖『世界知識』10巻1号(1937年1月)
世界平和の前途『創造』(1937年2月号)
汎米会議の成果につきて『外交時報』81巻773号(1937年2月15日)
最近の英支関係『政経論叢(明大)』臨時増刊号(1937年3月)
国際情勢を大観して『家庭』7巻3号(1937年3月)
日本の国際関係の一面『東洋』40巻4号(1937年4月)
外交時報の過去を回顧して『外交時報』82巻776号(1937年4月1日)
戴冠式と英帝国会議『世界知識』10巻5号(1937年5月)
英国の戴冠式に当りて『外交時報』82巻779号(1937年5月15日)
ベルギー中立国再現と世界平和経済会議『ラヂオ講演・講座』2号(1937年5月25日)
世界平和会議開催問題について『世界知識』10巻6号(1937年6月)
太平洋安全保障説と民国の外交『支那』28巻7号(1937年7月)
勝海舟先生『キング』13巻8号(1937年7月)
米国の新外交『政経論叢(明大)』12巻3号(1937年7月15日)
対支外交二十年とその破局『日本評論』12巻9号(1937年8月)
ヨーロツパ外交の動き『外交時報』83巻785号(1937年8月15日)
時局と英米関係『東洋』40巻9号(1937年9月)
不戦九国両条約問題―並びにイギリス今後の動きにつきて『政経論叢(明大)』12巻4号(1937年10月)
英米はどう動くか(特集・世界はどうでる)―九箇国条約会議と巧妙なる米国操縦『日本評論』12巻12号(1937年11月)
支那事変と英米露『支那』28巻11号(1937年11月)
地中海問題とイタリー『外交時報』84巻790号(1937年11月1日)
九国会議と米英露仏伊『文藝春秋』15巻16号(1937年12月)
今後の日英関係如何『日本評論』12巻13号(1937年12月)
日独伊協定と英国『日本評論』12巻14号(1937年12月)
英米は日本をどう思つてゐる『婦人公論』22巻12号(1937年12月)◆標題修正:09/9/4=註15
九ヶ国条約会議後の列強『世界知識』10巻12号(1937年12月)
九国条約会議とその後『実業之日本』40巻23号(1937年12月)
イギリス帝国外交の一面(一)『国際法外交雑誌』37巻1号(1938年1月)
国際関係の進展と日本『歴史教育』12巻10号(1938年1月)
支那事変の外交問題『財政』3巻1号(1938年1月)
動く欧洲外交界『ラヂオ講演・講座』25号(1938年1月25日)註9
日独伊防共協定の将来『週刊朝日』33巻6号(1938年1月23日)
イギリス帝国外交の一面(二)『国際法外交雑誌』37巻2号(1938年2月)
支那事変と列国の動向『世界知識』11巻3(臨時増刊)号(1938年2月)
英仏地中海協商と在米英系宣伝『外交時報』85巻796号(1938年2月1日)
日支事変に関する外交諸問題『経済倶楽部講演』170号(1938年2月9日)
インドの政治的動揺につきて『外交時報』85巻799号(1938年3月15日)
ドイツの東部中部欧洲進出―オーストリア‥‥チェコスロヴアキア‥‥ルーマニア及び南露『政経論叢(明大)』13巻2号(1938年4月)
チエムバレーン家と日本『文藝春秋』16巻6号(1938年4月)
イギリス帝国外交の一面(三)『国際法外交雑誌』37巻4号(1938年4月)
イギリスの新らしき動き『国際知識及評論』18巻4号(1938年4月)
混乱の欧洲と各国の利害錯綜『実業之日本』41巻8号(1938年4月)
独逸の墺国及びダニューブへの活躍『世界知識』11巻5号(1938年4月)
世界列強の宣伝戦『婦人公論』23巻4号(1938年4月)註12
最近のインド『週刊朝日』33巻19号(1938年4月17日)
太平洋に於ける英国と濠洲『東洋』41巻5号(1938年5月)
英伊協定―日本へどう響く『日本評論』13巻7号(1938年6月)
新嘉坡根拠地歴史及其政治的意義『一橋論叢』1巻6号(1938年6月)
ヨーロッパから東亜へ『婦人公論』23巻6号(1938年6月)
独逸のチエツコ政策如何『外交時報』86巻804号(1938年6月1日)
イギリス帝国外交の一面(四)『国際法外交雑誌』37巻6号(1938年7月)
刻下の我が対外関係『支那』29巻7号(1938年7月)
フランスの対支援助に就て『世界知識』11巻9号(1938年8月)
二箇の重大問題『外交時報』87巻811号(1938年9月15日)
ヒ総統の爆弾声明と欧洲の将来『日本評論』13巻11号(1938年10月)
漢口陥落後の外交方策『実業之世界』35巻11号(1938年10月)
ドイツ、小協商国、ハンガリーの外交戦―ホルチイ摂政の訪独・小協商会議の動き『世界知識』11巻11号(1938年10月)
チエツコ協定後の欧洲『日本評論』13巻12号(1938年11月)
九国条約廃棄と列国の動き『実業之日本』41巻24号(1938年12月)
有田外相の対米回答『外交時報』88巻817号(1938年12月15日)
回教徒の動きとトュニス問題『回教圏』2巻1号(1939年1月)
世界政治の動向『ダイヤモンド』27巻1号(1939年1月1日)
世界の動き―チユニスの危機『週刊朝日』35巻1号(1939年1月1日)◆副題追加:09/09/09
世界の動き―暗雲濃化の欧洲『週刊朝日』35巻3号(1939年1月8日)◆副題追加:09/09/09
世界の動き―英伊会談の真意『週刊朝日』35巻5号(1939年1月22日)◆副題追加:09/09/09
世界の動き―防共枢軸更に強化『週刊朝日』35巻6号(1939年1月29日)◆副題追加:09/09/09
汪兆銘の媾和声明『日本評論』14巻2号(1939年2月)
失敗した汎米会議(上)『外交時報』89巻820号(1939年2月1日)
失敗したる汎米会議(下)『外交時報』89巻821号(1939年2月15日)
独伊新活動の目標―チユニス問題とメーメル問題『政経論叢(明大)』14巻1号(1939年3月)
時事問題早わかり―汪兆銘の離脱『キング』15巻3号(1939年3月)◆副題追加:09/09/09
支那事変を繞る日米関係の改善に就て『支那』30巻4号(1939年4月)
来る可き欧洲の動き『国際知識及評論』19巻4号(1939年4月)
時事問題早わかり―欧洲情勢内幕ばなし『キング』15巻4号(1939年4月)◆副題追加:09/09/09
ドイツ東進の将来―ルーマニアと独英仏の外交『日本評論』14巻5号(1939年5月)◆標題修正:09/9/11=註16
紛糾するヨーロッパの国際政局―スロヴァキア、チェコからポーランド問題へ『世界知識』12巻5号(1939年5月)
時事問題早わかり―租界はどうなるか『キング』15巻6号(1939年5月)◆副題追加:09/09/09
ダンチツヒ問題の検討『外交時報』90巻827号(1939年5月15日)
第二次世界大戦は一歩手前だ『実業之世界』36巻6号(1939年6月)
日本外交上二ヶ年の回顧『世界知識』12巻7号(1939年7月)
波蘭廻廊問題の検討『外交時報』91巻831号(1939年7月15日)
天津英租界と日英会談『日本評論』14巻8号(1939年8月)
パレスチン問題と英国の苦境『新亜細亜』1巻1号(1939年8月)
時事問題早わかり―独伊軍事同盟をめぐる国際情勢『キング』15巻9号(1939年8月)◆副題追加:09/09/09
支那事変を繞る世界の動向『日本経済新報』(1939年9月号)
時事問題早わかり―天津租界問題と日英会談『キング』15巻11号(1939年9月)◆副題追加:09/09/09
欧洲大戦とアジア『新亜細亜』1巻3号(1939年10月)
イタリーは如何に動くか『日本評論』14巻10号(1939年10月)◆標題修正:09/9/11=註17
欧洲戦争勃発にイタリーはどんな肚か『実業之世界』36巻10号(1939年10月)註2
欧洲戦争勃発の外交『財政』4巻10号(1939年10月)
時事問題早わかり―通商条約の廃棄と日米関係『キング』15巻12号(1939年10月)◆副題追加:09/09/09
ポーランドの悲運と独蘇関係『外交時報』92巻837号(1939年10月15日)
英仏長期戦を辞せず『文藝春秋』17巻21号(1939年11月)
独ソ条約後の欧洲国際関係『世界知識』12巻11号(1939年11月)
ヨーロッパ戦争の外交事情『帝国教育』733号(1939年11月)
欧洲戦争とトルコ―トルコ、イタリー関係の検討『国際法外交雑誌』38巻10号(1939年12月)
近時のソ聯外交につきて『東洋』42巻12号(1939年12月)
ソ聯の芬蘭略取と欧亜の今後『実業之日本』43巻1号(1940年1月)
国際政治概観『国家学会雑誌』54巻1号(1940年1月)
ソ聯のバルカン南下策につきて『外交時報』93巻843号(1940年1月15日)
米国の極東活動基地問題『支那』31巻2号(1940年2月)
欧洲戦争に関する若干重大問題の考察『政経論叢(明大)』15巻1号(1940年3月)
欧洲大戦はいつ終熄するか『雄弁』31巻3号(1940年3月)
重大化したバルカン『世界知識』13巻3号(1940年3月)
法王、大統領の和平運動の真価『外交時報』93巻847号(1940年3月15日)
十五年間の外交『日本評論』15巻4号(1940年4月)
時事問題早わかり―最近の国際情勢を語る『キング』16巻4号(1940年4月)◆副題追加:09/09/09
ソ聯の近東政策につきて『国際知識及評論』20巻5号(1940年5月)
欧洲戦争の平和工作『財政』5巻6号(1940年5月)
時局と我経済関係の新展開『外交時報』94巻850号(1940年5月1日)
欧洲戦争と世界の動き『旬刊講演集』18巻15号(1940年5月30日)
大戦下のドイツ資源外交につきて『一橋論叢』5巻6号(1940年6月)
独軍の白蘭侵入『日本評論』15巻6号(1940年6月)
重慶政府とソ聯とにつきて『支那』31巻7号(1940年7月)
欧洲戦争はどこまで拡大するか『実業之日本』43巻13号(1940年7月)
欧洲戦争と列強の動向『東洋』43巻7号(1940年7月)
太平洋の国際関係『日本評論』15巻8号(1940年8月)
ソ聯とイラン・トルコ・印度『新亜細亜』2巻8号(1940年8月)
独仏の休戦後に来るもの『世界知識』13巻8号(1940年8月)
英独戦争とアイルランド『外交時報』95巻858号(1940年9月1日)
石油資源と米墨関係―目下米国の対日禁輸に関連して『政経論叢(明大)』15巻3・4号(1940年11月15日)
伊希開戦と近東の大勢『外交時報』96巻864号(1940年12月1日)
ルーマニアの領土変動につきて『国際法外交雑誌』40巻1号(1941年1月)
日支新条約は何を決めてゐるか『キング』17巻2号(1941年2月)
ブルガリアの三国同盟参加『外交時報』98巻872号(1941年4月1日)
日ソ関係の史的考察『改造』23巻10号(1941年5月)
最近ユーゴスラヴヰアの推移につきて『国際法外交雑誌』40巻5号(1941年5月)
ユーゴ政変の検討『創造』(1941年5月号)
時局と米露両国関係の検討『一橋論叢』7巻6号(1941年6月)
イラク戦争並びにアラビア人開放問題『東洋』44巻6号(1941年6月)
時事問題早わかり―バルカン問題の真相『キング』17巻6号(1941年6月)◆標題修正:09/9/13=註18
シリヤ戦争を中心として『新亜細亜』3巻7号(1941年7月)
開戦までの独ソ関係『週刊朝日』40巻4号(1941年7月)
欧洲戦争と米国―中立から参戦への歩み『外交時報』99巻878号(1941年7月1日)
凍結令と米国の動き『公論』4巻9号(1941年9月)
独蘇戦争と国際新情勢『経済倶楽部講演』21号(1941年9月5日)
二箇の重大問題『外交時報』99巻883号(1941年9月15日)
我が国際外交十年『世界知識』14巻10号(1941年10月)
汎米政策の推移『政経論叢(明大)』16巻4号(1941年10月15日)
ソ聯と米英日の関係につきて『支那』32巻11号(1941年11月)註5
第二次大戦とソウヂ・アラビア『外交時報』100巻888号(1941年12月1日)
米英の横暴から大東亜戦争へ『日本評論』17巻1号(1942年1月)註4
白人アジア侵略史『東洋』45巻1号(1942年1月)
大東亜戦争とチモール問題『国際法外交雑誌』41巻2号(1942年2月)
汎米会議と米国の焦燥『実業之日本』45巻4号(1942年2月)
戦争と中南米の外交『外交時報』101巻893号(1942年2月15日)
白人の東洋侵略を顧みて『理想日本』1巻2号(1942年3月)
対日三進攻路と米英濠聯合戦線『実業之日本』45巻8号(1942年4月)
大東亜戦と国際関係『経済倶楽部講演』12号(1942年4月27日)
大東亜戦と日支人濠洲移植権問題『支那』33巻5号(1942年5月)
大東亜戦争下の国際関係『東洋』45巻6号(1942年6月)
独ソ戦新躍動と外交問題―フランスとトルコとの動き『理想日本』1巻5号(1942年6月)
英吉利・印度関係の前途『外交時報』102巻900号(1942年6月1日)
英帝国崩壊の大勢『外交評論』22巻7号(1942年7月)
転落の英国『実業之日本』45巻15号(1942年8月)
北阿の大勝と日独伊の握手『週刊朝日』42巻5号(1942年8月2日)
エヂプト戦勢を望見して『外交時報』103巻905号(1942年8月15日)
欧洲新秩序論『日本評論』17巻10号(1942年10月)
戦争と米国、拉丁米の関係『国際法外交雑誌』41巻11号(1942年11月)
米国の対支政策回顧『支那』33巻11号(1942年11月)
米国の「特使」及び宣伝外交『外交時報』104巻911号(1942年11月15日)
東亜に於ける欧米列強勢力の角逐『東亜経済研究年報』1号(1942年12月)
米国中間選挙の検討『外交時報』104巻912号(1942年12月1日)
時局下におけるタイ国の地位『政経論叢(明大)』17巻4号(1943年1月)
大東亜戦争一ヶ年の回顧と我が今後の進路『東洋』46巻1号(1943年1月)
大東亜の『民族独立』問題『理想日本』2巻1号(1943年1月)
旧秩序と新秩序『政経論叢(明大)』18巻3・4号(1943年3月)
我が共栄圏外交の新発展『外交時報』105巻918号(1943年3月1日)
益々危殆を加ふる英帝国『外交評論』23巻6号(1943年6月)
欧洲外交戦の内幕『実業之日本』46巻12号(1943年6月)
重大化したソ聯・波蘭紛争『外交時報』106巻925号(1943年6月15日)
伊バドリオ降伏に際して『外交時報』108巻932号(1943年10月1日)
米国の支那人排斥法撤廃案につきて『国際法外交雑誌』42巻12号(1943年12月)
印度独立の新発展『外交時報』108巻937号(1943年12月15日)
レバノン問題と英国の膨脹政策『外交評論』24巻1号(1944年1月)
ヨーロッパ情勢を望見して『東洋』47巻2号(1944年2月)
米国の東亜侵略理念『支那』35巻3号(1944年3月)
ソ聯対英米の一大問題『外交時報』109巻942号(1944年3月1日)
米国とソ聯邦―両国外交関係の回顧と展望『外交評論』24巻7号(1944年7月)
土の対独断交と英蘇関係『外交時報』110巻948号(1944年8月1日)
支那に於ける米国とソ聯『支那』36巻1号(1945年1月)
二箇の重要問題に接して『外交時報』111巻954号(1945年2月1日)
戦後の国際外交『経済』1巻4号(1947年5月)
戦後の国際外交(下)『経済』1巻5号(1947年6月)

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論文・記事(新聞に掲載されたもの)

標題所収備考
矯風論の一面―敢て忘却する勿れ『日米』1905年7月19日号
米国加州に於ける排日法案『法律新聞』858号(1913年4月25日)
今回の戦争と各国の関係『法律新聞』967号(1914年10月5日)
布哇の白人と日本人―最近恐日病者の運動『東京朝日新聞』1915年6月7日号
桑港博覧会の一面『東京朝日新聞』1915年6月12日号
大西洋漫筆『東京朝日新聞』1915年7月14日号
希臘主戦派勝つ『東京朝日新聞』1915年7月15日号
巴爾幹の外交戦―羅馬尼の逡巡躊躇『東京朝日新聞』1915年7月16日号
葡萄牙の参戦運動『東京朝日新聞』1915年7月24日号
倫敦より申上候(上)―英国新公債の発行『東京朝日新聞』1915年7月29日号
倫敦より申上候(下)―英国新公債の発行『東京朝日新聞』1915年7月30日号
英国聯合内閣の効験―戸籍法案と政局『東京朝日新聞』1915年8月9日号
英国議会傍聴記『東京朝日新聞』1915年8月12日号
英国の他国援助―その戦時支出の一面『東京朝日新聞』1915年8月22日号
英国外相の復職(上)『東京朝日新聞』1915年9月18日号
英国外相の復職(下)『東京朝日新聞』1915年9月19日号
聯合内閣の成績『東京朝日新聞』1915年9月22日号
英国棉花禁制品宣言『東京朝日新聞』1915年10月1日号
石井男の訪英『東京朝日新聞』1915年10月11日号
英国内閣の徴兵問題(上)『東京朝日新聞』1915年10月26日号
英国内閣の徴兵問題(下)『東京朝日新聞』1915年10月27日号
英国の新増税『東京朝日新聞』1915年10月28日号
病後の大演説―十一月二日の英国首相『東京朝日新聞』1915年12月16日号
チヤーチル氏を訪ふ『東京朝日新聞』1915年12月19日号
カーソン氏辞職―焦点は東方問題『東京朝日新聞』1915年12月20日号
独墺窮境の一面―所謂食料品問題如何『東京朝日新聞』1916年1月4日号
日本赤十字訪問記―将に帰国せんとする『東京朝日新聞』1916年2月2日号
内相シモン氏去る『東京朝日新聞』1916年2月21日号
土耳其皇嗣の自殺(上)『東京朝日新聞』1916年3月31日号
土耳其皇嗣の自殺(下)―単独講和とエンヴエルパシヤ『東京朝日新聞』1916年4月1日号
自由貿易の弔鐘―マンチエスターの変調と全国商業大会『東京朝日新聞』1916年4月8日号
霞ヶ関の新顧問―トーマス・ベーチー博士『東京朝日新聞』1916年4月30日号
倫敦より申上候―新予算提出-国債-増税-国税問題『東京朝日新聞』1916年5月17日号
愛蘭の反乱『東京朝日新聞』1916年6月5日号
沙翁三百年祭(上)―戦時ながら賑うた『東京朝日新聞』1916年6月13日号
沙翁三百年祭(下)―両陛下臨御あらせらる『東京朝日新聞』1916年6月14日号
英国大艦隊訪問記(上)『東京朝日新聞』1916年7月12日号
英国大艦隊訪問記(下)『東京朝日新聞』1916年7月13日号
戦時の英国造船所『東京朝日新聞』1916年7月18日号
英軍戦線訪問記(上)『東京朝日新聞』1916年7月20日号
英軍戦線訪問記(下)『東京朝日新聞』1916年7月21日号
惨たる古都アルラス―英軍戦線訪問記『東京朝日新聞』1916年7月30日号
聯合国と希臘―内閣更迭と総選挙『東京朝日新聞』1916年8月4日号
英軍病院と兵站根拠地―英軍戦線訪問記『東京朝日新聞』1916年8月5日号
新陸相ロイド・ジヨージ君『東京朝日新聞』1916年8月10日号
英国の新政策―前例なき事業発展補助金『東京朝日新聞』1916年9月9日号
数字責めの戦争―英国軍器製造の大膨脹『東京朝日新聞』1916年9月25日号
ヴエルダン戦の経済的意義『東京朝日新聞』1916年10月9日号
羅馬尼の宣戦『東京朝日新聞』1916年10月14日号
洪牙利と単独講和『東京朝日新聞』1916年10月24日号
勃牙利講和の真相(一)『東京朝日新聞』1918年10月9日号
勃牙利講和の真相(二)『東京朝日新聞』1918年10月11日号
勃牙利講和の真相(三)『東京朝日新聞』1918年10月12日号
勃牙利講和の真相(四)『東京朝日新聞』1918年10月13日号
講和会議の外交(一)『東京朝日新聞』1919年1月1日号
講和会議の外交(二)『東京朝日新聞』1919年1月3日号
講和会議の外交(三)『東京朝日新聞』1919年1月5日号
講和会議の外交(四)『東京朝日新聞』1919年1月7日号
講和会議の外交(五)『東京朝日新聞』1919年1月8日号
講和会議の外交(六)『東京朝日新聞』1919年1月9日号
講和会議の外交(七)『東京朝日新聞』1919年1月10日号
講和会議渋滞事情(上)『東京朝日新聞』1919年4月12日号
講和会議渋滞事情(下)『東京朝日新聞』1919年4月13日号
ルール占領の話(上)『東京朝日新聞』1923年1月16日号
ルール占領の話(下)『東京朝日新聞』1923年1月17日号
所謂「対露復興の難問」(上)『東京朝日新聞』1923年5月16日号(夕刊)註13
所謂「対露復興の難問」(下)『東京朝日新聞』1923年5月17日号(夕刊)註13
悶乱の希臘『東京朝日新聞』1923年11月9日号(夕刊)
英国議会の解散(上)『東京朝日新聞』1923年11月17日号(夕刊)
英国議会の解散(下)『東京朝日新聞』1923年11月18日号(夕刊)
排日移民立法(上)『東京朝日新聞』1923年12月6日号
排日移民立法(下)『東京朝日新聞』1923年12月7日号
墨西哥の叛乱『東京朝日新聞』1923年12月22日号註14
新回々教主『東京朝日新聞』1924年3月11日号
排日移民法の成立[1]『東京朝日新聞』1924年4月30日号
排日移民法の成立[2]『東京朝日新聞』1924年5月1日号
排日移民法の成立[3]『東京朝日新聞』1924年5月2日号
排日移民法の成立[4]『東京朝日新聞』1924年5月3日号
排日移民法の成立[5]『東京朝日新聞』1924年5月4日号
排日移民法の成立[6]『東京朝日新聞』1924年5月6日号
排日移民法の成立[7]『東京朝日新聞』1924年5月7日号
排日移民法の成立[8]『東京朝日新聞』1924年5月9日号
排日移民法の成立[9]『東京朝日新聞』1924年5月10日号
刻下の日米問題(一)『家庭週報』746号(1924年5月23日)
刻下の日米問題(二)『家庭週報』748号(1924年6月6日)
最近東方ヨーロツパの大勢(一)『家庭週報』761号(1924年9月19日)
最近東方ヨーロツパの大勢(二)『家庭週報』762号(1924年9月26日)
日米問題の将来『一橋新聞』6号(1924年10月1日)
最近東方ヨーロツパの大勢(三)『家庭週報』763号(1924年10月3日)
西ヨーロツパの形勢(一)『家庭週報』764号(1924年10月10日)
刻下の支那の動乱について(一)『家庭週報』765号(1924年10月17日)
メキシコ新大統領『東京朝日新聞』1924年10月22日号
英米の総選挙―その選挙費用のこと『東京朝日新聞』1924年10月29日号
刻下の支那の動乱に就て(二)『家庭週報』767号(1924年11月14日)
刻下の支那の動乱に就て(三)『家庭週報』769号(1924年11月28日)
西ヨーロツパの形勢(二)―ドイツ償金からロンドン会議へ『家庭週報』1924年12月5日号
西ヨーロツパの形勢(三)『家庭週報』771号(1924年12月12日)
今年の欧米[1]『東京朝日新聞』1925年1月4日号
今年の欧米[2]『東京朝日新聞』1925年1月5日号
今年の欧米[3]『東京朝日新聞』1925年1月6日号
今年の欧米[4]『東京朝日新聞』1925年1月7日号
今年の欧米[5]『東京朝日新聞』1925年1月8日号
今年の欧米[6]『東京朝日新聞』1925年1月9日号
今年の欧米[7]『東京朝日新聞』1925年1月10日号
今年の欧米[8]『東京朝日新聞』1925年1月11日号
今年の欧米[9]『東京朝日新聞』1925年1月12日号
今年の欧米[10]『東京朝日新聞』1925年1月13日号
今年の欧米[11]『東京朝日新聞』1925年1月14日号
今年の欧米[12]『東京朝日新聞』1925年1月15日号
今年の欧米[13]『東京朝日新聞』1925年1月16日号
今年の欧米[14]『東京朝日新聞』1925年1月17日号
今年の欧米[15]『東京朝日新聞』1925年1月18日号
日本と英国との関係について(一)―桜楓会国際問題研究講演会にて『家庭週報』1925年5月29日号
日本と英国との関係について(二)―桜楓会国際問題研究講演会にて『家庭週報』1925年6月5日号
日本と英国との関係について(三)―桜楓会国際問題研究講演会にて『家庭週報』1925年6月12日号
トルコと日本―小幡大使の出発に際して『東京朝日新聞』1925年9月19日号
支那の税権回収と互恵協定(上)『東京朝日新聞』1925年10月4日号
支那の税権回収と互恵協定(中)『東京朝日新聞』1925年10月6日号
支那の税権回収と互恵協定(下)『東京朝日新聞』1925年10月7日号
次で開かれる治外法権会議『東京朝日新聞』1925年11月19日号
東洋諸民族の形勢[1]―インドからペルシヤその他へ『東京朝日新聞』1926年1月1日号
東洋諸民族の形勢[2]―インドからペルシヤその他へ『東京朝日新聞』1926年1月3日号
東洋諸民族の形勢[3]―インドからペルシヤその他へ『東京朝日新聞』1926年1月4日号
東洋諸民族の形勢[4]―インドからペルシヤその他へ『東京朝日新聞』1926年1月5日号
東洋諸民族の形勢[5]―インドからペルシヤその他へ『東京朝日新聞』1926年1月6日号
東洋諸民族の形勢[6]―インドからペルシヤその他へ『東京朝日新聞』1926年1月7日号
ドイツの二重外交(上)『東京朝日新聞』1926年5月11日号
ドイツの二重外交(下)『東京朝日新聞』1926年5月12日号
国際聯盟の今後(上)『東京朝日新聞』1926年9月10日号
国際聯盟の今後(下)『東京朝日新聞』1926年9月11日号
御大喪と外交(上)『東京朝日新聞』1927年2月2日号
御大喪と外交(下)『東京朝日新聞』1927年2月3日号
軍備縮小会議(一)『東京朝日新聞』1927年2月18日号
軍備縮小会議(二)『東京朝日新聞』1927年2月19日号
軍備縮小会議(三)『東京朝日新聞』1927年2月20日号
軍備縮小会議(四)『東京朝日新聞』1927年2月21日号
軍備縮小会議(五)『東京朝日新聞』1927年2月22日号
軍備縮小会議(六)『東京朝日新聞』1927年2月23日号
軍備縮小会議(七)『東京朝日新聞』1927年2月24日号
松原博士の『外交及外交史研究』『東京朝日新聞』1927年7月8日号
支那問題解説(一)―国際聯盟学生支部発会式にて『家庭週報』1927年7月8日号
最近の支那問題解説(二)―国際聯盟学生支部会にて『家庭週報』1927年7月15日号
支那問題解説(三)―国際聯盟学生支部会にて『家庭週報』1927年7月22日号
満洲の一角から[1]『東京朝日新聞』1927年10月5日号
満洲の一角から[2]『東京朝日新聞』1927年10月6日号
満洲の一角から[3]『東京朝日新聞』1927年10月7日号
満洲の一角から[4]『東京朝日新聞』1927年10月8日号
満洲の一角から[5]『東京朝日新聞』1927年10月9日号
満洲の一角から[6]『東京朝日新聞』1927年10月11日号
米国政府の対外債態度『一橋新聞』62号(1927年11月24日)
今年の欧米[1]『東京朝日新聞』1928年1月1日号
今年の欧米[2]『東京朝日新聞』1928年1月3日号
今年の欧米[3]『東京朝日新聞』1928年1月4日号
今年の欧米[4]『東京朝日新聞』1928年1月5日号
今年の欧米[5]『東京朝日新聞』1928年1月6日号
南米コロンビアの油田法について『一橋新聞』69号(1928年4月23日)
国際的に見た済南事件(1)『東京朝日新聞』1928年5月13日号
国際的に見た済南事件(2)『東京朝日新聞』1928年5月14日号
国際的に見た済南事件(3)『東京朝日新聞』1928年5月16日号
国際的に見た済南事件(4)『東京朝日新聞』1928年5月17日号
国際的に見た済南事件(5)『東京朝日新聞』1928年5月18日号
国際的に見た済南事件(6)『東京朝日新聞』1928年5月19日号
国際的に見た済南事件(7)『東京朝日新聞』1928年5月20日号
国際的に見た済南事件(8)『東京朝日新聞』1928年5月21日号
支那の動乱について『一橋新聞』72号(1928年6月4日)
支那の条約改正[1]『東京朝日新聞』1928年8月10日号
支那の条約改正[2]『東京朝日新聞』1928年8月11日号
支那の条約改正[3]『東京朝日新聞』1928年8月12日号
支那の条約改正[4]『東京朝日新聞』1928年8月13日号
支那の条約改正[5]『東京朝日新聞』1928年8月14日号
支那の条約改正[6]『東京朝日新聞』1928年8月15日号
支那の条約改正[7]『東京朝日新聞』1928年8月16日号
支那の条約改正[8]『東京朝日新聞』1928年8月17日号
支那の条約改正[9]『東京朝日新聞』1928年8月18日号
支那の条約改正[10]『東京朝日新聞』1928年8月19日号
法学博士信夫淳平氏著「二大外交の真相」『東京朝日新聞』1928年10月26日号
東洋最近の形勢に就て(一)『家庭週報』960号(1928年11月23日)
東洋最近の形勢に就て(二)『家庭週報』961号(1928年11月30日)
太平洋をめぐる国々(一)『東京朝日新聞』1929年1月1日号
太平洋をめぐる国々(二)『東京朝日新聞』1929年1月3日号
太平洋をめぐる国々(三)『東京朝日新聞』1929年1月4日号
太平洋をめぐる国々(四)『東京朝日新聞』1929年1月5日号
太平洋をめぐる国々(五)『東京朝日新聞』1929年1月6日号
太平洋をめぐる国々(六)『東京朝日新聞』1929年1月7日号
太平洋をめぐる国々(七)『東京朝日新聞』1929年1月8日号
太平洋をめぐる国々(八)『東京朝日新聞』1929年1月9日号
時事論評『一橋新聞』86号(1929年2月4日)
休戦十一年祭『一橋新聞』102号(1929年11月11日)
世界に動く人々[1]『東京朝日新聞』1930年1月1日号
世界に動く人々[2]『東京朝日新聞』1930年1月3日号
世界に動く人々[3]『東京朝日新聞』1930年1月4日号
世界に動く人々[4]『東京朝日新聞』1930年1月5日号
世界に動く人々[5]『東京朝日新聞』1930年1月6日号
世界に動く人々[6]『東京朝日新聞』1930年1月7日号
世界に動く人々[7]『東京朝日新聞』1930年1月8日号
先づ望ましき主力艦問題の解決―軍縮会議の当面に就て『一橋新聞』1930年2月12日号
インドの形勢『一橋新聞』111号(1930年4月28日)
世界外交の動き―米国の新モンロー主義・イギリスの「同盟」策『一橋新聞』1930年8月25日号
「外交余録」を読む『東京朝日新聞』1930年9月12日号
動く東洋『東京朝日新聞』1931年1月1日号
動く東洋(2)『東京朝日新聞』1931年1月3日号
動く東洋(3)『東京朝日新聞』1931年1月4日号
動く東洋(4)『東京朝日新聞』1931年1月5日号
動く東洋(5)『東京朝日新聞』1931年1月6日号
動く東洋(6)『東京朝日新聞』1931年1月7日号
動く東洋(7)『東京朝日新聞』1931年1月8日号
動く東洋(8)『東京朝日新聞』1931年1月9日号
軍縮・ドイツ・日本『一橋新聞』136号(1931年6月26日)
新春と我外交『一橋新聞』146号(1932年1月1日)
外交表裏を解剖す 本多氏の「軍縮本会議と日本」『東京朝日新聞』1932年3月11日号
満洲国につきて『一橋新聞』150号(1932年3月30日)
革命のシヤム(上)『東京朝日新聞』1932年6月29日号
革命のシヤム(下)『東京朝日新聞』1932年6月30日号
国際法から見た満洲国承認『東京朝日新聞』1932年9月13日号
「国際軍備縮少問題」『東京朝日新聞』1932年10月21日号
『賠償及戦債問題』『東京朝日新聞』1932年12月22日号
ニュース解説 聯盟脱退の話『東京朝日新聞』1933年2月4日号
日支紛争と列国『一橋新聞』168号(1933年2月10日)
南洋委任統治は放棄の要なし『東京朝日新聞』1933年2月26日号
ドイツの聯盟脱退『一橋新聞』177号(1933年10月23日)
国際外交の危機は一九三六年―第六回学術講演会『一橋新聞』1933年11月27日号
オーストリアの形勢『一橋新聞』184号(1934年3月12日)
濠洲聯邦外相来訪の使命『東京朝日新聞』1934年5月5日号
武力革命否認へ敢然たる反撃―サルバドル国の満洲国承認事情『東京朝日新聞』1934年5月24日号
ブラジルの排日事情『東京朝日新聞』1934年5月29日号
ヒツトラーの動き『一橋新聞』192号(1934年7月9日)
「泰山鳴動」に終るか アリゾナの排日『東京朝日新聞』1934年8月26日号
舞台は廻る―ロシアの聯盟加入(上)『東京朝日新聞』1934年9月12日号
欧洲は多事―ロシアの聯盟加入(下)『東京朝日新聞』1934年9月13日号
英主アレキサンダー一世 難局に御奮起 悲運の祖国愛『東京朝日新聞』1934年10月11日号
イタリーとユーゴー(上)『大阪朝日新聞』1934年10月14日号
イタリーとユーゴー(下)『大阪朝日新聞』1934年10月16日号
華府条約廃棄通告(上)『東京朝日新聞』1934年12月5日号
華府条約廃棄通告(下)『東京朝日新聞』1934年12月6日号
いよいよ十三日 ザール人民投票『東京朝日新聞』1935年1月4日号
吠える独逸に怯え 仏伊の握手成る『東京朝日新聞』1935年1月10日号
英、仏結盟への一歩を踏出す『大阪朝日新聞』1935年2月5日号
英仏協定の真相―目標ドイツにあり 仏国外交の成功『東京朝日新聞』1935年2月7日号
ギリシァ動乱事情(上)『東京朝日新聞』1935年3月6日号
ギリシァ動乱事情(下)『東京朝日新聞』1935年3月7日号
日露漁業条約改訂(上)『東京朝日新聞』1935年5月31日号
日露漁業条約改訂(中)『東京朝日新聞』1935年6月1日号
日露漁業条約改訂(下)『東京朝日新聞』1935年6月2日号
英仏両大国 両政情の対照を観る『東京朝日新聞』1935年6月13日号(夕刊)
急迫のエチオピア問題(1)『東京朝日新聞』1935年8月28日号
急迫のエチオピア問題(2)『東京朝日新聞』1935年8月29日号
急迫のエチオピア問題(3)『東京朝日新聞』1935年8月31日号
急迫のエチオピア問題(完)『東京朝日新聞』1935年9月1日号
一九三五年の欧米を回顧して(上)『東京朝日新聞』1935年12月25日号
一九三五年の欧米を回顧して(中)『東京朝日新聞』1935年12月27日号
一九三五年の欧米を回顧して(下)『東京朝日新聞』1935年12月28日号
仏露援助条約の効力(上)『東京朝日新聞』1936年3月26日号
仏露援助条約の効力(下)『東京朝日新聞』1936年3月27日号
黒龍江に船を浮べて(上)『東京朝日新聞』1936年8月27日号
黒龍江に船を泛べて(下)『東京朝日新聞』1936年8月28日号
満洲雑感『一橋新聞』234号(1936年9月8日)
動揺するヨーロッパ(上)『東京朝日新聞』1936年10月29日号
動揺するヨーロッパ(中)『東京朝日新聞』1936年10月30日号
動揺するヨーロッパ(下)『東京朝日新聞』1936年10月31日号
汎米平和会議(上)『東京朝日新聞』1936年12月1日号
汎米平和会議(下)『東京朝日新聞』1936年12月2日号
一九三七年の世界『東京朝日新聞』1937年1月5日号
目下のヨーロッパ『一橋新聞』265号(1938年4月10日)
雨か風かチエコ問題の帰趨(1)『東京朝日新聞』1938年9月8日号
雨か風かチエコ問題の帰趨(2)『東京朝日新聞』1938年9月9日号
雨か風かチエコ問題の帰趨(3)『東京朝日新聞』1938年9月10日号
欧洲局面の緊張―ズデーテンドイツ人問題の注目すべき帰趨『一橋新聞』1938年9月10日号
本年の欧米[上]『東京朝日新聞』1939年1月1日号
外交随感『一橋新聞』280号(1939年1月1日)
本年の欧米[下]『東京朝日新聞』1939年1月2日号
欧洲戦争の外交(上)『東京朝日新聞』1939年9月9日号
欧洲戦争の外交(下)『東京朝日新聞』1939年9月11日号
ソ聯外交とフインランド(上)『東京朝日新聞』1939年12月2日号
ソ聯外交とフインランド(下)『東京朝日新聞』1939年12月3日号
欧洲戦争と東洋の新情勢[上]『東京朝日新聞』1940年1月2日号
欧洲戦争と東洋の新情勢[中]『東京朝日新聞』1940年1月4日号
欧洲戦争と東洋の新情勢[下]『東京朝日新聞』1940年1月5日号
トルコ及び近東の緊張[上]『東京朝日新聞』1940年2月27日号
トルコ及び近東の緊張[下]『東京朝日新聞』1940年2月28日号
戦火のスカンヂナヴイア[上]『東京朝日新聞』1940年4月12日号
戦火のスカンヂナヴイア[下]『東京朝日新聞』1940年4月13日号
伊参戦と国際関係[上]『東京朝日新聞』1940年6月12日号
伊参戦と国際関係[下]『東京朝日新聞』1940年6月13日号
日濠関係の接近[上]『東京朝日新聞』1940年8月21日号
日濠関係の接近[中]『東京朝日新聞』1940年8月22日号
日濠関係の接近[下]『東京朝日新聞』1940年8月23日号
結成された三国同盟『一橋新聞』315号(1940年10月10日)
新東亜建設と太平洋〔外交篇 上〕『朝日新聞』1941年1月2日号
新東亜建設と太平洋〔外交篇 中〕『朝日新聞』1941年1月4日号
新東亜建設と太平洋〔外交篇 下〕『朝日新聞』1941年1月5日号
独ソ開戦とウクライナ『朝日新聞』1941年6月24日号
イランを繞る新情勢[上]『朝日新聞』1941年8月26日号
イランを繞る新情勢[下]『朝日新聞』1941年8月27日号
日米関係の史的回顧(1)『朝日新聞』1941年11月9日号
日米関係の史的回顧(2)『朝日新聞』1941年11月10日号
日米関係の史的回顧(3)『朝日新聞』1941年11月11日号
日米関係の史的回顧(4)『朝日新聞』1941年11月12日号
支那人排斥法撤廃案の真相『朝日新聞』1943年10月23日号
選挙後の米国の動き如何『明治大学新聞』533号(1946年12月15日)
選挙後の米国の動き如何【二】『明治大学新聞』534号(1947年1月15日)
インドの独立―更に茨の道へ『明治大学新聞』1947年6月20日号
中国の日本講和条約反対『明治大学新聞』542号(1947年10月5日)
一つの世界に終幕―国際共産党の再建『明治大学新聞』1947年10月20日号

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座談会記事

標題所収備考
対支国策討議『改造』6巻11号(1924年11月)
東亜諸問題座談会『東亜』2巻1号(1929年1月)
春宵世間話の会『文藝春秋』8巻5号(1930年5月)
十年後の日本を語る座談会『文藝春秋』9巻7号(1931年7月)
満洲事変と世界大戦『文藝春秋』9巻11号(1931年11月)
満洲事変座談会『経済往来』6巻11号(1931年11月)
国運発展大座談会『キング』8巻2号(1932年2月)
国運発展大座談会『キング』8巻3号(1932年3月)
欧洲はどうなるか?『経済往来』7巻5号(1932年5月)
聯盟脱退!日本は何うなる座談会『キング』9巻4号(1933年4月)
ドイツ聯盟脱退後の欧洲政局大座談会『世界知識』5巻6号(1933年12月)
海軍より非常時局を訊く『東洋』37巻1号(1934年1月)
軍縮会議を語る座談会『世界知識』7巻5号(1934年11月)
軍備競争狂時代と次の世界戦争を語る夕『経済往来』10巻6号(1935年6月)
一九三六年を語る座談会『日本評論』11巻12号(1936年12月)
日独協定の反響座談会『文藝春秋』15巻1号(1937年1月)
戦争か平和か座談会『世界知識』10巻3号(1937年3月)
『東亜新秩序の敵は何か』座談会『文藝春秋』17巻7号(1939年4月)
「対欧策と欧米の政治・経済」座談会『文藝春秋』17巻13号(1939年7月)
欧洲大戦を語る座談会『キング』15巻13号(1939年11月)

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その他(アンケート回答など)

標題所収備考
亜細亜主義は空想に非ず『大日本』4巻7号(1917年7月)
僕が『中外』を好む所以『中外』2巻11号(1918年10月)
官吏夏休廃止の功過批判『中央公論』37巻9号(1922年8月)
今年中一番私の心を動かした事『中央公論』37巻13号(1922年12月)
予の一生を支配する程の大いなる影響を与へし人・事件及び思想『中央公論』38巻2号(1923年2月)
桑港震災の思ひ出『週刊朝日』4巻15号(1923年9月30日)
日曜と家庭『婦人公論』10巻7号(1925年7月)
柯公全集を読みて柯公全集刊行会『柯公追悼文集』(柯公全集刊行会、1925年9月)
世界平和の日『婦人之友』20巻1号(1926年1月)
新時代の女性に望む資格のいろいろ『婦人之友』20巻4号(1926年4月)
思ひ出づるまゝに『随筆』1巻2号(1926年7月)
「眼花集」「せゝらき集」其他『随筆』2巻5号(1927年5月)
明日の女性に要求される一つの資格『婦人之友』25巻1号(1931年1月)
吉野博士のことども『書物展望』3巻5号(1933年5月)
吉野博士のことゞも赤松克麿編『故吉野博士を語る』(中央公論社、1934年4月)
日本から世界におくりたいもの・世界から日本にもらひたいもの 『婦人之友』30巻1号(1936年1月)
カレントブックス『帝国大学新聞』697号(1937年11月29日)
重要外交資料としてのバルフォア卿報告書『中央公論』53巻3号(1938年3月)註3
独ソ戦は米国の参戦を早めるか・反共十字軍結成の可能性『一橋新聞』巻331号(1941年7月10日)

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註記

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